昭和39年(1964年)6月16日に発生した新潟地震に際して日本水道協会は調査団を派遣、6月24日から28日まで水道施設を中心に調査を行った(*)。この写真集はこの調査において東京都水道局の職員が撮影したものである。
この写真複写を新潟大学元教授の小出崇氏(地震当時新潟県水道局)が所持しておられたが、それを当社にて焼き増しさせていただいた。今般その写真をデジタル化したものである(**)。各写真の注釈は写真に添えられたものをそのまま記した。
(平成16年8月、日本技術開発潟pブリックマネジメント事業部)。 *中川義徳、田中晋、石川義夫:新潟地震における水道施設被害調査報告、東京都水道局 調査資料、No17、昭和40年2月発行。 **ここに掲載された写真は上記中川、田中、石川の各氏の調査で撮影されたことはほぼ間違いないが、現物は見つかっておらず、確認が取れない。しかし、これら写真の学術的な重要性に鑑みあえてここに公開することにした。学術研究などの目的で本写真集の写真を引用する場合は本ホームページを引用してください。 |
新潟地震基礎データ |
|
西暦 | 1964年6月16日13時01分40秒 |
和暦 | 昭和39年 |
マグニチュード | 7.5±0.2 |
震央位置 | 東経139.2 北緯38.4 |
震源深さ | 40km |
最大震度 | 6 |
場所 | 新潟県沖 |
関連活断層 | 村上沖海底 |
被害 | 死者 26名 全壊家屋 1960戸、半壊家屋 6640戸 道路損壊 918箇所、橋梁損壊40箇所 被災世帯数 21978世帯、 被災者数 95782名 |
新潟地震による被害は新潟県の中部から山形県にわたる広い範囲に及んだが、特に新
潟市において顕著であった。信濃川に沿って広い範囲で地盤が液状化、橋梁、建物、
ライフラインに大きな被害を与えた。昭和大橋の落橋、石油タンクの炎上等の被害が
衝撃的であった。 この地震を契機として地盤の液状化の研究が始まった。日本やアメリカで精力的な研 究が行われ、液状化のメカニズムが解明され、予測手法や対策工法が開発された。近 年、信濃川流域では液状化により地盤が川心方向に数m動いていたことが確認され、 兵庫県南部地震での同様の経験を経て、現在の設計基準において「流動化」という概 念で設計の中で具体化されている。 |
1.浄水場 青山浄水場の高架水槽の中央円筒脚に亀裂を生じたが崩壊はまぬがれた。この他には、特に被害はなかった。地盤が良好であったためと考えられる。 2.送水管 a.寺地取水所〜青山浄水所 青山浄水場直前の約100mの区間は山崩れに伴って甚大な被害を受けた。そのうち30mの区間は土砂とともに押し流され、各所に散乱した。 b.寺地取水所〜関谷浄水所 関谷浄水所の緩勾配の90°曲管付近で継手の抜け出しが2箇所 c.青山浄水所〜関谷浄水所 前出a.と同様の被害。続く国道部数10mは斜面崩壊と同時に1m以上隆起し、かつ数m押し出され舗装コンクリートは破壊して散乱した。このため、この部分の管は破壊、散乱し、1本の管は位置さえ確認できなかった。 3.配水管 今回の地震で水道施設の受けた被害は大部分が配水管であった。地震により市内の広範囲にわたり地下水の噴出、地盤の隆起・陥没などが起こり、このため埋設管は地盤良好な地区を除いては、ほとんど使用できなくなった。 配水管の被害で目立ったことは、破裂、破損よりも継手の抜け出しが多かったことである。抜け出しの大きいものは40〜50cm、最大は10mにおよんだ。 配水管の被害傾向としては、鋳鉄管の鉛継手の緩みによる漏水と突込みによる管端部の損傷が多かった。 上記水道施設の被害総額は約17億7,000万円(新潟県:新潟地震災害復興計画)であった。 |