鳴瀬町の被害


鳴瀬町内の調査箇所の概略位置 [地図上の番号は、以下の地区の番号に対応]
(ベースマップは国土地理院 1/25000 地形図による)



(1)牛網池


牛網池。農業用水のため池。遮水シートに特に被害は見られない。

堤体脇の放水路の部分の護岸の沈下

堤体に亀裂等はない。

法尻のブロックに若干の亀裂

(2)法昌寺付近(鳴瀬町牛網)


法昌寺

転倒した墓石が多数

概ね西側に倒れている墓石が多かった

西側にスライドして、時計回りに回転している。

付近の電柱の傾きのトレンドは南側。このあたりは区画整理事業で造成中の住宅地。

同じく造成中の住宅地への道路。舗装未完。

マンホールの浮き上がり

お寺の南側の地割れ

耐震補強されていたブロック塀

民家の裏の崖(南から撮影)

右上写真近くの同じ崖。木が落石を止めている。(東から撮影)

上写真と同じ崖。国道45号と県道鳴瀬南郷線の交差点付近の落石。(南西から撮影)

同右上。破れた落石防止ネット。(南から撮影)

(3)鳴瀬町役場周辺


鳴瀬町役場

傾いたPHSのアンテナ

駐車場の亀裂

庁舎の壁(震度計のすぐそば)に入った亀裂

2037galを記録した震度計

震度計の設置状況。役場の敷地全体が盛土されており、震度計は盛土の法肩に載っている。

役場から北東方向を望む。崖が崩れている。

役場の隣の中央公民館

中央公民館の花壇

階段付近で液状化の痕跡

公民館周辺の路面の陥没。地震時にバスが止まっていたと推測される。

勤労者体育センター周辺の地盤沈下。建物には被害なし。

体育館の入り口が変形。中は目立った被害はなさそうだった。

役場から小野地区に向かう道路。保育園の近く。

下水道管路周辺の沈下

民家(商店)の庭の地下石油タンクの浮上。7:13の本震時とのこと。

右上写真の民家の南側の保育園前。南北方向の圧縮力が働いている。この付近では明確な噴砂は見られず。近くの堤防も目立った被害なし。

(4)小野地区(小野橋左岸すぐ下流)


ここでも耐震補強したブロック塀が見られた。

壊れた民家のブロック塀

防火水槽が液状化して浮き上がった。道路の突き当たりが堤防。

左写真の防火水槽のすぐ横の電柱の根元で噴砂が見られる。

堤防から上写真の箇所を望む。ここの堤防に大きな被害はない。

小野橋下流左岸堤防のアスファルト部の亀裂

堤防内の地面の亀裂

河川敷。噴砂があった後、河川水位が上昇して河水が河川敷上を流れ、水流の跡ができているように見える。

同じく河川敷。液状化?

(5)小野橋


小野橋全景。RCラーメン橋脚、鋼製支承、13径間の鋼単純桁。昭和11年竣工。昭和53(1978)年宮城県沖地震でも被害を受けた。

桁が左岸側橋台に衝突して破損。

単純桁がすべて左岸側にずれている。一撃でずれてそのままになったのだろうか。

鋼製支承から桁が脱落している。かなり腐食していた模様。

桁に段差が生じている。落防は効いているようだ。

橋面上の段差。右岸側に目立つ。

支承が壊れている。桁が水平方向に50cmほど動いている。(写真は防災科研・末冨氏提供)

桁の衝突に伴い高欄が座屈している。

右上写真のジョイントの段差は約10cm。

右岸側橋台部ジョイントの開き。橋台背面は沈下。

隙間は約20cm。段差はあまりない。

桁が支承から完全に脱落。下部の金物は落防定着用ブラケット。

縁端ぎりぎりで桁が止まっている。落防の効果か。

同左。コンクリートの割れは桁落下時の応力集中によるものだろうか。

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