先発隊:平成11年10月5日(火)〜10月11日(月) 7日間
後発隊:平成11年10月7日(木)〜10月11日(月) 5日間
先発隊:環境防災事業部地震防災部 劉係長
後発隊:環境防災部地質部 山貝次長、同地震防災部 森課長、東京支社構造・橋梁部 林主任
大阪支社環境防災部 岩田主任(地震防災室)
10月5日
先発隊台北入り、午後情報収集
10月6日
調査協力機関との調整、計画の作成、情報収集
10月7日
後発隊台北入り、午後先発隊と合流後、(財)中華顧問工程司(建設コンサルタンツ)で被害情況の概要ヒアリングおよびディスカッション、夕方に国家地震工
程研究中心に行き、被害情況についての情報収集
10月8日
午前中交通部公路局(台湾の運輸省の道路局)にて被害情況についてのプレゼンテーション視聴およびヒアリング調査を行い、午後より台中県に移動。同日の調
査対象は、東豊大橋、石圍橋、石圍橋周辺露頭断層(段差)、石岡ダム、豊勢橋、東勢市内
10月9日
一江橋、霧峰郷総合運動場周辺(霧峰郷光復国中)、烏渓橋、猫羅渓橋、集鹿大橋、集集ダム(集集らん河堰)、集集大橋、名称不明橋(集集大橋のそば)、名
竹大橋、桶頭橋、龍門大橋、第二高速公路工事中橋梁(名竹近傍)
10月10日
太平市内の代金天仙宮府、霊光塔(冬瓜山:一江橋のそば)、車籠埔(断層面露頭個所)、草屯市内の台湾省立草屯高級商工職業学校、日月潭、埔里市内市役
所、警察署、長寿橋、育楽トンネル
10月11日
豊原市と石岡郷の境に現れた断層、卑豊橋
調査対象の橋梁の概要を整理して下表にまとめている。ただし、これらは現地において目視ないしはヒアリングで確認できた範囲でのものであるため、正 確さに欠ける部分があるものと思われる。なお、同表中の損傷程度は、我々の独自指標として示したものであり、橋梁ごとの相対的な損傷の程度をおおむね把握 する上で役立つ程度のものと理解していただきたい。
橋梁名 | 路線名 | 橋長 | 径間数 | 上部工形式 | 下部工形式 | 基礎形式 | 竣工年 | 橋軸方向 | 損傷程度 | 架橋位置 | 写真番号 | 備考 |
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東豊大橋 | 省道3号 | 650m程度 | 22 | 単純PCT桁 | 壁式(小判) 単柱式(小判) |
N80E | C | 東勢鎮 | 10/8 No42〜45 |
上下線分離 | ||
(1) | ||||||||||||
石圍橋 | 省道3号 | 60m程度 | 3 | 単純RCI桁 | 壁式(小判) | ケーソン | 1994 | N40W〜N60W | A | 東勢鎮 | 10/8 No49〜51 |
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(2) | ||||||||||||
豊勢橋 | 省道3号 | 50m程度 | 4 | コンクリート系 | 未確認 | D | 豊原市 | |||||
(5) | ||||||||||||
一江橋 | 台中縣道129号 | 200m程度 | 19 | 単純RC版桁 | 壁式(小判) | ケーソン | N50W | B | 太平市 | 10/9 No1〜17 |
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(7) | ||||||||||||
烏渓橋 | 省道3号 | 750m程度 | 17 | 単純PCT桁 | 壁式(小判) | ケーソン | 1983 1985 | N20E | B | 霧峰郷〜草屯鎮 | 10/9 No30〜43 |
上下線分離 |
(9) | ||||||||||||
猫羅渓橋 | 省道3号 | 7径間連続 | 連続鋼鈑桁 | 単柱式(円形) | D | 草屯鎮〜南投市 | 10/9 No44〜52 |
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(11) | ||||||||||||
集鹿大橋 | 省道16号〜 南投縣道131号 |
PC斜張橋 PC桁 |
施工中 | C | 集集鎮〜鹿谷郷 | 10/9 No56〜64 |
一面吊り (ファンタイプ) |
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(11) | ||||||||||||
集集大橋 | 省道16甲 | 11 | 単純PCI桁 | 壁式(小判) | D | 集集鎮 | ||||||
(12) | ||||||||||||
名竹大橋 | 省道3号 | 単純PCI桁 | 単柱式(円形) | B | 竹山鎮 | 10/9 No71〜77 |
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(13) | ||||||||||||
桶頭橋 | 南投縣道149号 | 40m程度 | 4 | 単純RCI桁 | 単柱式(円形) | ケーソン | N30E | A | 竹山鎮 | 10/9 No80〜88 |
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(14) | ||||||||||||
龍門大橋 | 南投縣道149号 | 単純RCI桁 | 単柱式(矩形) | 1982 | B | 竹山鎮 | 10/9 No89〜93 |
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(15) | ||||||||||||
長寿橋 | 省道14号 | 1985 | E | 国姓郷 | 10/10
(3/3) No7〜15 |
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卑豊橋 | 省道3号〜 | 300m程度 | 13 | 単純PCI桁 | 壁式(小判) | ケーソン | 1991 | N | B | 東勢鎮〜豊原市 | 10/11 No23〜50 |
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(21) | ||||||||||||
空欄部は確認できなかったか、不明なもの | 損傷程度 A:橋梁全体で落橋および橋脚損傷 B:橋梁の一部で落橋および橋脚損傷 C:上部工の移動(軽微な損傷を含む)および橋脚損傷 D:上部工および橋脚の軽微な損傷 E:ほとんど損傷がない |
もっとも古い中央部橋梁の桁および橋脚はりを仮受けしている状況で、この橋梁上の交通は完全に止めている。今後の復旧計画としては架け替え をするとのことであるが、交通の完全遮断はできないとのことから、まず上流側の橋梁を撤去した後新設橋梁を架設し、ついで下流側の橋梁の撤去後に新設橋梁 を架設するとのことである。
上流側に河川横断盛土を構築し迂回路を確保している。河川水流はその道路用の盛土中にコルゲート管を設置して確保している。
今回の地震断層は、南北性の逆断層である車籠埔断層(第2類*として評価されていた活断層)を主とするものであるが、10月 8日の調査範囲は、この断層北端から北東方向(N70E)に延びた断層帯(これまでに確認されていない断層帯と思われる)で、幅1km前後の大甲渓沿いの 低地ないし段丘に雁行状の断層面群を現している。従って、個々の断層面は連続性に乏しく、その方向も概ね東西〜北東南西方向で一定していない。東豊橋以外 のこの地域の橋梁(我々の調査した対象としては石圍橋、豊勢橋、卑豊橋)は、すべてこの断層変位によって落橋ないし崩壊していると考えられる。
石圍橋近傍に現れた断層崖では、上盤側直近の家屋(基礎はスラブ)で傾きが2°程度生じたものの構造的な破壊がわずかであったことから、振動はそれ ほど大きくなかったものと推測された。この住人(ザンさん:住所:南投県東勢鎮東蘭路167の1)へのヒアリングの結果、地震発生時に横振動と縦振動を感 じたとのことである。
また、断層近傍の井戸は全く涸れてしまったとの情報は、既往の地震でも報告されていることである。
*:第1類活動断層:沖積世(10,000年以内)の活断層、歴史地震断層など。第2類活動断層:更新世晩期(100,000年以内)の活断層。第 3類活動断層:第四紀の断層、地形的特徴などから判定。
コンクリート重力式?
ダム右岸側で2m、左岸側で9mの隆起が生じたとのこと(ダム軸方向で7mの相対高低差が生じたことになる)
軍による仮設橋梁の敷設で通行確保(現橋をそのままにしておその上に仮設)
車内から見た限りでは、地表面に段差が現れているところが多くあり、メインの車籠埔断層に対して上盤側では被害が多く見られ、下盤側では被害があま り見られないといったかなりはっきりした傾向があった。
右岸橋台付近に北東−南西方向の断層面。隆起量約4m。地表に現れた断層面の方向が断層の走向と異なる。河川沿いでは溝状の基盤岩表面と低 角度の逆断層面のなす交線が複雑になるためか。
一江橋の東1km程度の山腹斜面に数百m規模の地すべりが見られ、滑落崖は高圧鉄塔の基礎間際まで達して移設を余儀なくされ、崩壊した土砂 は河川に達していた。地すべりは必ずしも断層変位に起因していない(地震動による大規模地すべりの発生は、神戸では希少であった。仁川の例は液状化も関 与)。
ここは日本でもテレビ等で大々的に報道されたところであり、地元でもいわゆる観光地的な存在となっている。当該地は山間の河川沿いの沖積低地に位置 しており、川を斜めに横断する方向(NW-SE)の断層崖(H=2m+程度)が現れ、運動場を斜めに横切っていた。このあたりの地表面には小規模(数 10cm程度)から中規模(2m程度)の断層崖が複数見られ、山に近づいたところで断層が分岐しているようにも見られ、断層ラインのトレースが困難であっ た。また、目視レベルで左ずれ成分も認められた。代表的ないくつかの被害事例は以下のようなものであった。
本橋下流側の幹線道路の橋梁は健全状態であったため、当面の通行量の確保が可能との判断(と思われる)から、特段の緊急的復旧活動はしてい なかった。
断層が橋と交差する方向が他の橋と逆に、NE-SW方向。基盤岩の形状が複雑か?北東延長方向に断層地形らしき谷が見られるため、車籠埔断 層の共役断層の影響も考えられる。
竣工間際の2径間連続PC斜張橋(一面吊、ホロー桁、主塔部剛結構造)で、台湾最大河川である濁水渓を跨ぐ。
復旧工事のため桁を仮受けしするための足場が組まれていた。
<コラム> 濁水渓は、台湾随一の河川で東方上流域の山地には黒色の頁岩が広く分布するため、常時黒灰色に濁っている。台湾は 地殻プレートの衝突により年平均5mm程度の隆起が継続している地域であり、このため山地の浸食も激しい。一方、濁水渓に合流する清水渓は、南北性で浸食 速度が遅いためか澄んでいる。清らかな水も濁水に混じればやはり濁水となる・・・。 |
橋梁:10径間単純PCI桁、RC壁式(小判)橋脚
ダム:コンクリート重力式?
左岸側橋台の背面取り付け部から落橋していない部分(6番目橋脚上)までの上流側に盛土による切り回し道路を構築し利用されていた。
<コラム> 名竹大橋では緊急復旧の盛土に中古コンテナを使用。さすが世界最大のコンテナ会社” Ever
Green“のお膝元。無償供出とか。 |
橋梁の下流側に仮橋を敷設して交通を確保している。
地震断層南端(觸口断層)に位置し、第三紀末(鮮新世)の泥質軟岩層に北東南西方向の高角度断層破砕帯(幅数十m)が見られ、橋台部に交差 する。明確な断層変位はとらえにくいが、地震時に複雑な動きをしたことは想定できる。
本橋は右岸側の施設(電気?)から左岸側の道路にアクセスするためのものであり、緊急性が高いとは思われない。そのためか特になんの復旧手 当ても取られていなかった。
代金天仙宮府へ上る坂は、車籠埔断層沿いの丘陵末端斜面で、路面には南北性の亀裂面が現れ、一江橋の断層に連続する。宮内の建造物の倒壊は 激しく、既に解体が進んでいたが、特に斜面上の盛土地盤では八角形の楼閣の倒壊が目立った。
車籠埔の断層変位は垂直5〜6mと観察された。これに伴い規模の大きな地すべりが観察された。断層上の3階家屋は、一階部がつぶれた(1人死亡) が、石圍橋近傍に現れた断層崖と同様、上盤の断層直近の家屋は1〜2°の傾斜が見られたのみで構造的な破壊は生じていない。
居住者のコメントは興味深い。「地震動はあまり大きくなく、振動が収まって気が付いたら隣の家の屋根が下に見えた。」
車籠埔断層と地すべりの模式断面図 |
車籠埔断層と地すべりの見取り図 |
RC造地上4階地下1階(半地下構造)
震源の集集から東方約15kmの山間地にある人造湖。南端の水社ダム(コンクリートセンターコアのゾーンタイプ、H=30m程度、日本の占 領時代に建造)にクラック発生(頂部および法面)。頂部はL=10mが3本。掘削調査および埋め戻し中。亀裂深度は1.6mと浅かったため埋め戻しのみで 対処。その他、漏水や緩み状況確認のため地下レーダー、弾性波探査、電気探査を実施し、今後解析する(抽蓄工程処 基礎課長 李鴻洲氏談)。
幹線ではないこともあり特段の緊急的な対応はとられていない。
最も美しく地表に現れた断層変位。N40E, 隆起量約7m。右ずれ2〜4m。
南東側の岩盤が西に押し上げたため、南西−北西方向の断層面に右ずれが生じたと考えられる。
<コラム> 10月10日は台湾の国慶日(中華民国となったことを祝う記念日)だそうですが、本年についてはそのために用意 されていた大統領の祝賀経費(NT$1億=3.5億円)を集集地震の復旧にあてることとしたそうです。 |