地震からほぼ1年が経過した被災地に9月16日、17日と見て回る機会がありました。現地の今の様子を報告します。
石岡の卑豊橋。断層により滝が出来、橋は落橋した。同じ場所に新たな橋を建設中。手前は下部構造が完成し新しい桁が載っている。奥に見えるのが元の橋。線形が食い違っているので全て作り直しになると思われる。それにしても何故同じ場所に?
同じく卑豊橋の滝。地震断層そのもの。
石岡のダム。壊れた本体はそのまま。向こう側が7m隆起している。
石岡ダム。壊れた部分の上流にこのような締め切りを建設中。
豊原の中学校(豊東中学校)。壊れた校舎を作り直している。分厚いフーチング基礎に鉄骨鉄筋構造を採用。他にも同じ工法で建設中の学校を見た。RCはこりごりか。なお学校の復旧はだいぶ遅れており住民の不満が大きい。
上の写真の学校の強震計。地震の時、全国に約1000台の地震計があり、貴重な記録を残した。ここでは298galが観測された。
一江橋の近くの断層。やや盛りあがっているのが断層で、左から右に乗り上げている。左にあった建物は断層上でほぼ全壊。右のマンションはぎりぎり断層運動の影響を受けなかったと思われる。このマンションには人が住んでいるが左側の建物は放置されている。
上の写真の右側のマンションの地下駐車場。左から断層運動による土圧がかかったはずだがそれほど大きくはなかった模様。壁の若干のせり出し、奥の梁、柱に見られる構造の破壊があったが鉄骨で補強して使用されている。
霧峰の学校のトラックに現れた断層。あまりにも有名。今は草が生い茂り断層にはシートが掛けられていた。どうやって保存するのか。
上の学校の校舎。そのまま放置されている。
霧峰からやや南にさがった烏渓橋。上部構造はすべて撤去され、被害の大きかった奥の橋脚は撤去され新設の橋脚がたち始めている。
烏渓橋左岸の断層が現れた所。写真奥が上盤になる。橋が工事中なのでこの道路はほとんど修復されないまま残っている。
山間の小さな町、中寮はこの地震で最も深刻な被害を受けた。中心部にはまだこのような状況で放置されている公共施設があった。
地震の名前にもなった集集。駅舎は木造で倒壊寸前(日本時代のもの?)。このまま保存するようであった。このあたり一帯は観光地になっている。
日月潭、気象局の強震観測場所。989galという大きな加速度が観測された。標高1000mくらいのかなり切り立った山のてっぺん。この裏は急角度で深い谷に落ち込んでいる。手前の石積み擁壁に亀裂が入っている。
日月潭、強震計などのセンサー類。常時微動を計測中。
日月潭から北に上がった山間の大きな町。プーリ。角の建物がやられていた模様。鉄骨造で建てなおし。その奥のやや背の高いビルの上部は今にもこわれそうなまま放置してある。おそろしく危険。
上の写真のビルの上部の拡大。