横浜市南区中村町のがけ崩れ−概要と感想


 1999年(平成11年)2月17日(水)夜9時50分頃、横浜市南区中村町5丁目のマンション「ワコーレ吉野町ガーデン」(7階建て、約180世帯)裏のがけが崩れ、1名が負傷した。現場は、高さ約50mのほぼ垂直に切り立ったがけで、がけのすぐ脇にマンションが建てられていた。写真からわかるように、がけは鉄筋の網の上にモルタルが吹き付けられた防護が施してある。崩壊土砂はマンション北側の1、2階の通路を埋め、屋内にも侵入していた。がけの地質は、下部から上総層群の砂岩、同泥岩、下末吉層、下末吉ロームからなり、最上部にごく薄くローム層が堆積している(写真)。

 崩壊の北側はごく浅い表面がすべったようで、おそらく南側の深くえぐれた部分に引きずられたように思える。崖は北から南に向かって台地には入り込むように湾曲しているが、今回のすべりは南側が中心のようであった。崩落土量もこの部分がもっとも大きい。えぐれた部分の岩は上部まで赤く変色しており、この部分の風化が進んでいた可能性がある(写真)。ちなみに北側の、すべり面が確認できる断面を見ると風化は数十センチ程度である。南側のえぐれた部分は、水の流れの影響等により、他の部分より風化が進んでいたことも考えられる。

 がけの下部は比較的乾燥していた。崩落していない部分でもごくわずかな水のシミが認められる程度であった。ただし、冬季であることに注意する必要がある。崩壊していない部分についても吹き付けモルタルに亀裂が認められ現在も危険な状態にあると考えられる。

 新聞等の報道によると、崖の一部は以前から何度か崩落していたようである。昨年(平成10年)9月には今回崩れた部分より南側の上部が崩落した。写真からもわかるようにこの部分は深くえぐられており(ネットが張ってある)、これ以前にも大きく崩落があったことがわかる。さらに、今回の崩落の朝には管理人により、亀裂が発見され(どの部分かは不明)、崖を管理する横浜防衛施設局に連絡していたとのことである。

 崩れたがけは本牧台地の北西側にある。台地は上総層群(第四紀層、100〜200前に形成された)をベースとし、その上に相模層群の屏風ヶ浦層(約50万年前)あるいは下末吉層(約13万年前)という地層がのり、最上部はローム層になっている()。掘割川に面したがけは上総層群が20〜30mの高くまであり、その上に下末吉層が堆積している。上総層群は一般的には土丹とよばれ、横浜のがけはかなりの部分がこの土丹である。また、土丹は横浜における支持地盤として我々にはなじみの深いものである。港の見える丘公園から本牧、根岸、さらに今回崩れた部分にかけてのがけは比較的最近まで海に切り立ったがけで海食されたがけである。特に港の見える丘、本牧あたりはつい最近までは海に面していた(著者が子供の頃三景園奥の砂浜で水遊びをした思い出がある)。

 土丹のがけは一般的崩れやすいといってよい。事実、マンションの南側の米軍の敷地はがけがむき出しになているが、やや大きな崩落も見られた(写真)。ちなみに1923年の関東地震では、港の見える丘から本牧にかけて、外人墓地から今回崩落のあったすぐ近くの中村橋までのがけあるいは斜面は崩落している。

 がけの防護はモルタル吹き付けが一般的である。何ら対策を施さないがけはいかにも崩れそうで住民に不安を与えるため、このようなモルタル吹き付けが一般的に行われているように思う。今回崩れたがけは1984年頃、民間の地権者がモルタル吹き付けを施したようである(マンションの分譲は1991年頃)。しかし、この工法は、単に風化の進展を抑えるためのもので、がけを力学的に安定させることにはまったく寄与していない。がけの上部や吹き付け面の水処理を十分せず、吹き付けを行うと、場合によっては風化を早めることも考えられる。モルタル吹き付けにより風化が隠され、突然崩落が起こるとしたら、不十分な処理はかえって悪いことになる。今回の崩落がそのようなものであったどうかはよくわからないが、少なくともがけ上部の排水処理は行われていないようであった。

 崩落したがけの復旧は横浜防衛施設局が現在検討中のようであるが、おそらく相当がっちりした対策が取られることになろう。これだけ、住居が接近していると強固な対策によらざるを得ないであろう。ちなみに著者は本牧台地の南となりの台地斜面のマンションに住んでいるが、がけは、何段かの擁壁ときわめて密な排水施設により処理されている。隣のマンションは約30mの切り立ったがけをアンカーを併用した擁壁で支え、その上に立っている。基本的にはこのようながけのそばには住まないか、あるいは住居をややはなし、がけは自然の状態にしておくのが正解のように思える(常に風化の状態を監視できる)。

 この報告の報告者はがけや地質の専門家ではない。たまたま、昨年から2件の業務でがけや斜面の地震時の安定問題に関わってきたため、個人的に最低限の知識を得ることを目的としたものである。しかし、本当は著者が現場のごく近くの似たようながけに住居があるため切実なる思いもあり見に行ったという感が強い。

 調査(というより見学)は災害から3日目の2月20日の土曜午後に行った。快く自由な見学を許可していただいた、同マンション管理組合理事長岩田光男氏に深甚なる謝意を表したい。

調査者 日本技術開発株式会社 環境防災事業部 地震防災部 磯山 龍二


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